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北海道の山間僻地で農家の後継ぎを期待されながらも高校に進学、そして国家公務員試験に挑戦し合格。すべてが親の期待と裏腹でした。税務署職員から現在は税理士事務所を開業。北海道勇払郡出身。 |
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流俊幸税理士事務所のホームページ: http://www5e.biglobe.ne.jp/~t-nagare/ |
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<故郷は山間僻地の農家です> 明治14年、和紙の生産地として名を馳せた石川県河北郡(現在の金沢市郊外)は未曾有の降雪で樹木が枯死し人々の生活は極度に困窮したという。住民たちはその活路を未開の地に求め、明治28年から36年にかけ北海道は勇払郡(今では千歳空港、苫小牧市から車で約1時間の所)の山間に移住したとのこと。私の4代前の祖先もその一員として明治31年に一家4人で移り住んだと聞いている。今でこそ田圃や畑のある場所だが、当時は周囲一面が森林で、木の伐採から開墾が始まったと伝え聞いています。 この想像を絶するような山間僻地の農家の長男坊として生まれた私には、幼少の頃から中学卒業後は跡継ぎをすることが当然のように決まっていたのだそうです。 |
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| <親の期待と裏腹な進学と就職> 私自身は農家の後継ぎを当然のこととして覚悟していたのですが、卒業間近かになって高校進学を強く意識するようになった。健在だった祖父は激怒したようですが、担任の先生の強い後押しで父親から高校卒業後に跡継ぎすることを条件に念願の進学が出来たのです。 しかし、僻地からの通学はとても無理で、高校の3年間は下宿やらアパートでの自炊生活をしていました。3年生中期の頃からクラスの大部分が大学進学に向け猛勉強をしている頃、何の目標もなかった私にも何となく焦りがでてきました。 親の反対を押し切っての高校進学。そして、再び後継ぎという壁に直面した。 当時私は、自然を相手にした仕事、しかも僻地ということで将来に対する生きる自信を失い、出来れば"銀行員にでもなろう"かと親に相談したが当然...ダメ!農家を継ぐ意志を失った私は、"公務員試験なら親に内緒で受験できる"と思った。 だめもとで、折角受験するなら難しそうな税務に挑戦してみた。結果、一次に受かってしまった。2月中旬、二次試験。札幌まで一泊で行かねばならない。親に内緒で公務員受験をした裏切り息子への怒り爆発の顔が目に浮かんだ。その親にどう報告したら良いものか。またまた先生の出番。取り敢えず力試しということでこの難局を克服。周囲の期待に反して受かってしまった。今なら、子どもが試験に合格して喜ばない親はいないと思うのですが...。 |
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| <こうと決めたら家族も裏切った> 国家公務員としての1年目は研修であった。その1年間は全寮制の税務大学での研修が義務付けられ、札幌か東京のいずれかを選択しなければならない。 この時点でも親は"いつか跡を継ぐだろう"という期待を持っていたようである。その親に面と向かって説得したときは、頭の中が真っ白だった。どのように説得したか余り覚えていないが、結果的に東京を選択していた。 この時点で家を離れることが決まり、このことは家族を裏切ることでもあり、妹を跡取りにするなど弟妹たちを犠牲にしてしまった。そして、両親は数年前泣く泣く先祖代々の地を離れ、今ではその妹夫婦の厄介になっている。 |
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| <何で日本人同士で言葉が...> 全寮制の税務大学は新宿若松町の東京女子医大の脇にあった。一部屋4人で青森、九州、横浜出身の蒼々たる面々との、プライバシーも何もない生活が始まった。同じ日本人なのに夫々方言が強く最初の半年は勉強どころではなく、お互いの言葉を理解するのに追われた。 1年間のハードな研修を終え各税務署に配属。私は横浜鶴見税務署の酒税係に配属された。ここは、キリンビールの横浜工場がありビールの醸造勉強やらその検査が主な仕事となった。お陰で、ビールの製造方法がよく理解できた。税務とビール、関係ないようで大有りなんですね。 |
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| <組合本部に専従そして結婚> その後、職場は2〜3年間隔で転勤。仕事の内容は法人税や相続税の調査、そして総務関係の仕事と種々雑多を経験することが出来た。 官庁の職場には同盟系と総評系の組合があり熾烈な争いが行われていた。税務の職場は9割が同盟系で私もそこに所属していた。若干22歳のとき組合本部に専従することとなった。連日のようにオルグやら何やらの状態。専従は2年間で終了するがその後もしばらくは中央本部、地域での役員をやってきた。 専従期間中に結婚。専従を降りて暫くして再び専従要請があったが妻が猛反対。代わりに専従した仲間からは未だに「お前はずるい」と言われっ放し。しかし、今まで家族の期待に答えなかった私にとって、初めて新しい家族の意見を聞いた時期だったのかもしれない。 |
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<再び黙って、新たなる旅立> |
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<脅迫されながら仕事を覚えました> |
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<今と、そしてこれからのこと> |