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<田舎から出てきて悩んだね> 18歳のとき福島県いわき市から出てきて、東京丸の内で西洋料理を勉強し始めたんですよ。でも5年ぐらいやっているうちに、自分に向いてないってこともあったのか、何となく満足感がなくなったんです。そんなとき中華料理の奥の深さを知り、いても立ってもいられず思い切って知人を頼って米国に行ったんです。いま思えばスゴい冒険だったと思うけど、あの頃は料理を覚えたいという一心で、周囲の声も聞かない真剣さを持てた年齢だったのかも知れないね。 |
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| <米国で中華料理の深みを実感> 24歳の時に渡米したんですけど、本来なら中華料理は中国に行って勉強するものと思うでしょ。でもあの頃の中国はまだ共産圏だったし、戦後処理もキチンとされてなかったから、我々日本人が勉強をしに行ける状況じゃなかった。 そんな訳で、米国のサンフランシスコにあるチャイナタウンに行ったんです。初めての外国は全てが驚きでしたね。人はデカイし、食べる量はハンパじゃない。牛一頭分の肉を1回のパーティーで平らげちゃうくらいですから。それに脂っこいものが当たり前のように食卓に出る。あれには驚きましたね。 だからこそ、彼らは中華料理の脂っこさに馴染めたのかもしれませんね。でも中華料理の脂の質は食感の満足度がありながら、とってもヘルシー。その辺りが受け入れられたのではないでしょうか。 |
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| <帰国してからがまた大変だった> 結局米国に9年間いたおかげで中華料理も勉強できたし、英会話も出来るようになった。おまけにカワイイ現地の嫁さんをもらうことができたのが最高でした。今は別れちゃいましたけど(苦笑) 帰国後は、15年間家族でいわき市に住んで、地元で料理の仕事をしていました。子どもも男の子が2人出来て、やる気満々の生活だったなぁ。 でも色々あって離婚して、自分が一ヶ月生活できる分だけ取って、一人東京に出て来た訳なんですよ。あとはカミさんに全部渡してね。 別れた女房は米国に子どもを連れて戻って、大学に復学して、今は病院で一生懸命働いてるらしいよ。 |
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| <再び東京へ> 24年ぶりの東京はバブルの終わり頃だったけど、店を持つなんてことはできなかったね。それに50歳近い男が新たに料理屋で働くなんて難しくて、結局タクシーの運転手になった。けど特別運転が好きなわけでもないし、昼頃から次の日の朝まで働く生活が週3回あってね。生活リズムが合わなくて辛かったのと、思ったほどの収入は得られなかったな・・・。それでも、5年程その生活を続けてたら、ある人の紹介で今の店の物件を知って。その時は夢を見ているようだったよ。今まで経験してきたことが花開くかもしれないという喜びがあったね。 |
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| <ラーメン作りが本当に楽しい!> そんなこんなで本当に自分の店が持ててしまって、今は小さいながらもこの店に満足してますよ。なんと言っても、今まで勉強してきた中華料理の技術をラーメン作りの中で生かせますからね。それに経営者だから、うまく自分の時間も作れるから充実してますね。どうも私の顔は声をかけやすいのか、何回か来たお客さんとはすぐに世間話が始まっちゃうんですね。仕事しながら色々な人と出会えるのは幸せですよ。お客さんに良い人が多くて、そのお客さんの顔を見ながら作るラーメンだから、美味しく作りたくなっちゃいますよね。 |
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<週2回のトレーニング> |
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<まだまだ、これから> |